8/28/2012

「本」と、それにまつわる様々な「ストーリー」

8月27日付、朝日新聞・天声人語を全文引用。
内容は、今日の朝の情報番組でも取り扱われていた、紀伊国屋書店で行われている新しい本の販売プロモーションについて。
先にどんなものかイメージがあるとわかりやすいと思うので、写真をインターネット上から拝借して載せておきます。
あとはNaverまとめでも取り上げられてるので、リンクを。
”本の闇鍋状態…!紀伊國屋の思い切ったフェアが凄い”



以下、引用

 物語や小説の書き出しというものを、はじめて意識したのは〈メロスは激怒した〉だったように思う。ご存じ、太宰治の名短編だ。速球のようにまっすぐな冒頭は、話の面白さと相まって、田舎の少年の心のミットにぴしりと収まった。遠い昔のことを、東京の紀伊国屋書店新宿本店の小さな催事をのぞいて思い出した。小説の作者と題名を伏せて、書き出しの一文のフィーリングで文庫本を買ってもらう。面白い試みが評判を呼んでいる。 
書き出しだけを印刷したカバーで本をくるみ、固くラッピングしてあるから、買って開けるまで中身は分からない。棚にはとりどり100冊が並び、「本の闇鍋(やみなべ)」というネット評が言い得て妙だ。 
作家が精魂を込める一行目である。目移りするのも、また楽しい。2冊買ってみた。〈あのころはいつもお祭りだった〉と、〈昨日、心当たりのある風が吹いていた。以前にも出会ったことのある風だった〉。名を知るのみだった作家2人と、思わずめぐり合う縁(えにし)を得た。 
このところ、書店は活字離れやネットに押されて苦境が続く。この10年に全国で3割も減ったという。一方で、興味の偏りがちなネット買いとは違う「本との出会い」を演出する試みが盛んだ。 
偶然手にした一冊で人生が変わることもあろう。〈真砂なす数なき星の其中(そのなか)に吾(われ)に向ひて光る星あり〉子規。星を「本」に言い換えて、こぼれんばかりの書棚を眺めれば、自分を呼ぶ一冊があるような気がする。閃(ひらめ)く一瞬を見逃すなかれ。

 最近、以前にも増して本付いている僕は時間があれば本を読む。
小説が多いけれど、新書もビジネス本も歴史書も哲学書もたまに、読む。
誰かから薦められた本は必ず読むようにしており、また、古本屋に立ち寄って(どうしても読みたい本以外は、基本的には古本で買う。定価の本をバンバン買うと結構な出費になる)、タイトルや見出しなんかに一目惚れして買う本も多い。

引用した天声人語の終わりの行にもあるように、本との出会いは、子規が語る星のようでもあり、また僕は人との出会いとも同じようであると思っている。
作家が、ある時は10年、20年という長い年月をかけて一冊の本を綴る。そこに込めた思いは並々ならぬものだろう。その本を僕たちは2日〜3日ぐらいで読むことができる。素敵なことだと思う。本には人生が詰まっている。

すでに1年半ほど前になるけれど、SFにいるときに「本屋」に関するブログを書いていた。
”City Lights Bookstore”
この中で僕が語っている通り、人はただ本とそこから得られる知識だけを求めて本を購入するのではない。「ストーリー」。一冊の本が執筆されるに至った経緯や、著者の生い立ち、あるいはその本を自分が手に取ることになった偶然。そういった「ストーリー」を追い求めて僕は、そして多くの人は、本を読むのだと思う。盛況である紀伊国屋書店のプロモーションも、まさしくこの「ストーリー」を演出していて、本当に素晴らしいなぁと思う。

ネットでワンクリックするだけで本が家に届き、あるいはiPadやKindleなどの電子書籍デバイスで即座に本を読み始める事ができる時代になった。
便利であるし、安いし、持ち運びも簡単。良いこと尽くしに聞こえるけれど、そこには目に見えない形にはならない何らかの「ストーリー」が欠如している。僕はそれがなんとなくいやだなぁと感じており、金も時間もかかるけれどBOOKOFFへと週参して本を漁る。

今読んでいる本の「ほんのまくら」。それを最後に引用。
オススメの本、何かあったら教えて下さい。

「幸福だった。
この世に生まれてからずっと、ただひたすら同じ勝負をし続けてきた気がする。
そのことが今、春海には、この上なく幸せなことに思えた。」

P.S.
僕が一番大好きな本の「まくら」も書こうと思ったのだけれど、
その本は今、おそらく、そのタイトルにこの文字が冠されているように、どこかに旅に出ている。またいつか手元に戻ってきた時に紹介します。

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